近木圭之介翁とお会いした

2007年3月25日下関市の山頭火句碑を探索しました。私にとっては山頭火句碑集統合版が情報源です。その中に
近木圭之介宅に2基紹介されています。おまけに山頭火とのツーショットまであります。
お家を探し当てて句碑を写真に収めました。
氏はご健在だろうか?家内が玄関のチャイムを押しました。ご婦人が顔を出され
「本人に御用ですか?」
「えっ!!(しばらく間をおいて)お会いできますか?」
「いま起きたばかりでパジャマ姿ですから、しばらく・・」
「むにゃむにゃ・・あんたたちが来るとわかっとりゃ、ひげはそっとったのに・・」
とご本人。
そんなこんな句碑の話から、”後姿の写真”へと話がすすみ、あがりなさいと誘われて親子4人お邪魔することになり
ました。
ご婦人は翁のお嬢さんで、お住まいの横浜から身のまわりのおせわにこられているそうでした。
コーヒーは萩焼の器で。
「ブルーマウンテンは高い、おいしいのはモカだ」と翁。
結局帰るまで2時間以上お話を聞かせていただきました。
渥美清が役作りにスタッフと訪れたことや、庭の草取りを省くため除草剤を撒いて植木まで枯らしたこと。

「山頭火の”後姿の写真”も普通の服だったら、写さんかった」
「山頭火は九州に行くときとか帰るときとか、よく寄った」

「山頭火は木村録平とか人のお世話になってばかりのようでしたね」
「木村録平さんも今の金に変えたら2千万ぐらいは使ったろう。終戦前でよかった戦争が終わったころだったら、みん
なそんなこと出来てなかったろう、我が食うのに精一杯だから、。」

たのしいひと時をありがとうございました。2007.3.27



山頭火と近木圭之介(黎々火)翁、写真は山頭火句碑集統合版から借りました



翁が昭和8年6月5日長府三島の入り口で撮影した、あまりにも有名な”後姿の写真”

”うしろ姿のしぐれゆくか”山頭火はこの句を隠していたそうです。は筑前飯塚で詠んだこの句自嘲の一句と言われて
います、心の中の察しがつきません。
『雑誌”太陽”1978年9月号の特集「流離の漂白の俳人たち」。写真と”うしろ姿の・・・”の句を見開きで掲載したとこ
ろイメージが合致、次第にこの写真と句がトレードマークのようになった。』この部分は  日本経済新聞2005.11.28
人間山頭火を追う  からお借りしました



近木圭之介(黎々火)翁の句碑”散ったあとも 心に葉はおちてくる”



”月は有明の有りやなし 河童の宿を 出る”近木圭之介翁から帰るとき詠まれた荻原井泉水の句。
石は井戸の石を磨いたものだそうです。



やさしく話をしてくださる黎々火翁、私も山頭火の歴史の中にすっかり入り込みました。



荻原井泉水の書



山頭火の書



山頭火の直筆



黎々火翁のさしえ



2008.10.28近木翁 にししん個展会場

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