福岡県玄海町の山頭火句碑
松はみな枝垂れて南無観世音
福岡県宗像郡玄海町隣船寺
漂白の俳人、種田山頭火を愛する人は多い。一人自分の世界をまもって生きた彼の生き方に自分を重ねあわせて
いる
人も多い。彼ほど人に共感と驚きを与えた人もそう多くないだろう。
北九州を漂白した。
彼は筑豊糸田に住む木村緑平と親交が深かったことと無縁ではないだろう。ここ北九州地域には句碑が多く見られ
る。
松はみな枝垂れて南無観世音
福岡県宗像郡玄海町隣船寺には唯一の生前句碑がある
生前句碑 玄海町隣船寺 唯一の生前句碑と案内してある。
いまのたたずまい隣船寺
建立場所 福岡県玄海町神湊
建立年月日 昭和8年秋月
建立者 田代宗俊住職
揮毫者 自筆
句碑が移動している
山頭火追弔詩碑
田代宗俊和尚作詞
小城満睦 書
昭和61年3月30日建立。
伊能忠敬が宿泊跡。
『魚屋』
晴れるほどにくもるほどに波のたわむれ
建立場所 福岡県玄海町神湊 魚屋旅館
建立年月日 平成元年2月18日
建立者 吉武謹一 吉武亥之助
揮毫者 自筆
数日来、俊和尚に連れられて、その相伴で、方々でご馳走になった。と書いている。
神湊(こうのみなと)海岸
砂にあしあとのどこまでつづく
晴れるほどに曇るほどに波のたはむれ
ゆく春の夜のどこかで時計鳴る
遠く来てひでり雲ちぎれちぎれ
木村緑平宛てハガキ
昭和7年1月6日 隣船寺にて、山生
たいへんお世話になりました。奥様へよろしくお伝えくださいまし、ただあるくばかりです。もう歩きたくありません。
句集は大兄のご尽力を待つ他なし、いづれまた。
「ころり往生」を願望していても、人に頼ってでも句集を作りたい意欲があった。
翌日の作に「鐡鉢の中へも霰」がある。
たしか去年の1月13日だったと思ふ(日記があるとそのまま引用すればよいのだけれど、い ま手元にない。)私
は俊和尚に別れて、寒い一人で油山観音への道を辿った。雪もよひの、 何となく険悪な日であった。私自身も
憂鬱な気分になって意ゐた。と書いている
岡垣町成田山境内(昭和59年8月15日建立)
この年の9月山口県小郡町に安住を求めて「其中庵」と称し住む。
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