福岡県中間市の山頭火句碑
うしろ姿のしぐれていくか
熊本に落ち着こうとしたが落ち着けなかった。また身一つで旅に出る。その山頭火のうしろ姿を冷たい時雨がぬら
す。自ら嘲っている。昭和6年大宰府。
建立場所 中間市筑前垣生駅前
建立年月日 昭和49年11月3日
建立者 工藤 久・他
揮毫者 小田 隆一
右近の橘の実のしぐるゝや
大樟も私も犬もしぐれつゝ
昭和6年12月27日大宰府天満宮に参拝した。
建立場所 中間市筑前垣生駅前
建立年月日 昭和60年1月12日
建立者 工藤 久・他
揮毫者 福沢 重利
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする
母の47回忌。
句集「草木塔」の扉に「若こうして死をいそぎたまえる/母上の霊前に/本書を供へる」とある。
母フサが自殺したのは、明治25年3月6日、屋敷が850坪ほどある邸宅の釣瓶井戸だった。
あとの日記には「あゝ亡き母の追懐!腸syが自伝所を書くならばその冒頭の語句として_私一家の不幸は
母の自殺から初まる_と書かなければならない」と記す。
焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか
昭和5年9月。9月初旬山頭火は自殺未遂している。
自殺するにあたって身辺整理、過去一切を清算するためこれまでの行乞記を焼き捨てている。
建立場所 中間市筑前垣生駅前
建立年月日 平成元年3月21日
建立者 工藤 久
揮毫者 遠藤 茂雄
2006年埴生公園へ移設された。
焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきます
右近の橘の実のしぐるゝや
大樟も私も犬もしぐれつゝ
うしろ姿のしぐれてゆくか
生死の中の雪ふりしきる
2006年埴生公園へ移設された。
音はしぐれか
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