福岡県香春町の山頭火句碑

香春をまともに乞い歩く

田川郡香春町

明日は香春を行乞して金田泊、ぼつぼつと直方へ向かひます、おたより下さいますならば、直方局留置之事、・・・(2
月16日(昭和5年)木村緑平宛ハガキ

香春をまともに乞い歩く

五木寛之の「青春の門」にも出てくる香春岳(かわらだけ)は昭和10年より日本セメントが原料の石灰岩を採掘して
いる。香春岳は南側より一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳となっている連峰であり総称して香春岳という。

山頭火遊歩道には9個の句碑がある。

香春へ日が出る雀の子みんな東に向く 緑平



寸くひあげられて小魚かがやく



谺谺するほがらか



登りつめてトンネルの風  (仲哀洞道

仲哀天皇が熊襲征伐のおり、この峠を越えたことで仲哀峠という名がついた、そのままトンネルの名称になる。
いまは使われていない仲哀トンネル、その道の心霊スポットに上げられている。


香春町には北部九州では珍しい眼鏡橋がある。呉川眼鏡橋。


香春晴れざまへと鳥がとぶ





山頭火遊歩道



香春見上げては虱とってゐる





鳴きかはしては寄りそふ家鴨




枯木かこんで津波蕗の花

大山澄太編山頭火著作集(一)あの山越えてでは「材木かこんで津波蕗の花」となっている。



みすぼらしい影をおもふに木の葉ふる




あるけばきんぽうげ すわればこんぽうげ




香春をまともに乞ひ歩く
昭和5年11月28日 晴。近郊探勝。行程三里。香春町(二十五、中)
・・・・・・・、8時緑平宅を出、どうも近来、停滞し勝ちであんまり安易に狎れたやうである、一日歩かなければ一日の
堕落だ、などと考へ河に沿って伊田の方へのぼる、とても行乞なんか出来るもんじゃない、(緑平さんが、ちゃんとド
ヤ銭とキス代とを下さった)・・・・・・・                                     (行乞記)



ふりかえれば香春があった
木村緑平あてハガキと手紙(大山澄太編)11月30日 「見かへれば香春があった(いや一升壜があった)   山」
と遊んでいる。

平成8年9月 手づくり文化を拡める会


そこもこゝも岩の上には佛さま




高座石禅寺
・・・・・、11時には香春の町平成年月日着いた、寂れた街である、久振に蕎麦を食べる、宿をとるにはまだ早過ぎる
ので、街を出はづれて、高座石寺へ詣でる、石寺とよばれてゐるだけに、付近には岩石が多く梅も多い、清閑を楽し
むにはもってこいの場所だ、・・・・・・                         (行乞記)

境内の崖に梯子をかけて頭から蚊よけの網をかぶったご婦人が、草を取っていた。場所を聞いて写真をとったあと
「俳句がそのまんまですね!」と声したら「羅漢さんは300年以上からあるそうですよ、いつのまにか数がふえたらし
いです。」

2006.10.3 追加
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